lost in blue

雑記、あるいは自意識をこじらせた若者の末路

夏の一日目

とりあえず、10月までにギターが弾けるようにならないといけないから、ギターを取り出してきてエフェクター・システムを構築(平たく言えば繋いだだけ)し、音作りをした。練習段階でもやはりある程度の音は出ないと、気持ち悪くてやってられないのだ。10バンドイコライザ、ブルースドライバ、ソバットのDB-1、それからDAW上のアンプシュミレータなんかをひたすらいじっていく。全部のゲインやトーンやレベルが良い具合に重なるポイントを、クリーンとドライブの両方で使えるところまで持っていこうとするとなかなか大変だけれど、思っていたよりよい具合にできたので、つまみ位置をメモと一緒に撮影し保存した。

 

そんなことをやっていると知人から連絡がきて、明日弾き語りしようということだった。(僕は弾き語りの練習すらしたことがない。)結局あの河原で酒を飲みつつ気が向けば歌うという方向に落ち着いた。

まあけれどこうタイミングとしては妙に良くて、ギターの準備をしていたからそういう誘いが引き寄せられたような感覚がある。

 

家の掃除。いまだにドッグフードなんかが転がっているのを掃除機で吸って、吐いて、また吸った。今日はヘアピンやヘアゴムなんかは吸っちゃいない。

 

海がきこえる』を見た。ツイッターの人が言っていたのをレンタル屋で思い出して借りたもの。良い作品だったと思うけれど、中学や高校時代というのは僕は木偶の坊だったし、今もこんなだから、田舎者だけれど利発な主人公やその他というのはやっぱりどうしようもなく遠く思えた。こんなでは何見たってという気もするけれど、もう少し借りて返してのループを継続させたいなどと思っている。

基本的にどこだって遠いけれど、今からでも僕は普遍性を得る必要があって、その参考と楽しみのためなら別に、ささいなことなのだ。まあ元々人の考えてることなんてわからない。だから共感なんてできないから、ただ仕草を、行為を発言を学ぶ。意識にかけることは今なら少しできる。