lost in blue

雑記、あるいは自意識をこじらせた若者の末路

無差別

今日は何もしていないのでそんな日に何を書いても無になる可能性が高い。現に止まる。明日は平日だから今日よりは良い時間となるはずだけれど、台風で休みになった場合同じことができる保障はない。思考のすべてをその不確実な場所に置いている。こんなどうでもいい言い訳ばかり書いて、少しばかりましだと思ってくれている人に見られて失望されるくらいなら、やめてしまったほうがいいと思うな。嘘だ。思っていない。思考がここでしかできないということはおかしい。なぜなんだか。やはり別のブログに移すことにした。うん、こちらのほうが相応しく思える。

ここに未来の姿が投影されるとしたらどんなだろう。基本的に自分の目線で自分に起きたことを語っているか、思考を垂れ流しているので、未来のそれがあるということになる。それがわかったとしたら、いずれ来る失望や何やを回避することができるのだろうか。自分は意思が薄弱であるけれども、いまこの自分以外に自分を見る視点があったとしたら、変わってくることもあるかもしれない。そうか?客観だって主観だって、基本その対象に何かをしようということはない。傍観者であるといえる。

落ちていく風景の上映に意味はあるか?