lost in blue

雑記、あるいは自意識をこじらせた若者の末路

音楽をやるには、神聖に思う気持ちと、自分にも出来るというなめくさったような気持ちの両方が必要になる気がしてきた。神聖さは、純粋さと言ってもいいかもしれない。音の隙間に、届かない幻想世界をいだけるかどうか。それには、実際の視界と重ね合わせることを導入したほうが捗る。目を閉じてしまいたくなるのだが、完全に閉じてしまっては音も閉じてしまう。両面性を内包したまま、平衡状態で飛び続けられるかどうか。それができれば、両者の差異も自然と小さくなっていくような気がしている。