lost in blue

雑記、あるいは自意識をこじらせた若者の末路

朝起きれなかったり荷物があったり仕事があったり、総評するとただただ愚かであったために、眼科に行けなかった。どうにも首が痛くて勉強が捗ることもなかった。愚かかもしれない。何をやっているのか。

まあ時間は戻ってきませんので少し振り返ってもうおしまいです。どうにかしてリスケジュールしてやっていきます。

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夢を見た。古い夢だった。なんとなくその方向性を求めていたのを覚えているが、何でそのようにしてしまったんだっけ。わからないがそれをきっかけに何か朝は心が頭が治ったような気がしていたが、そんなこともなかったかな。

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どのようになりたいんでしょう。どのように生きられるんでしょう。少しでもましなほうを取る?京都に住むか滋賀に住むかをとりあえずで選んだらいいと思うのだけど、無難と思える近いほうをとって失敗している過去があるので、滋賀に住むという比較的手軽と思えるほうの選択肢も取る踏ん切りがつかず、結局何もしないということは、少しでもましなほうがとれていないということにもなります。それでも全然嫌いかもしれないほうに行くというのも、なんか暗いものを思い出させられる。

まあこのように先のことを考えてしまうのも、今の局面においては逃避でしかないのかもしれないが。

なんとなく嫌な感じがたくさん漂ってしまっている。心を治すのはその行動じゃない、整えるのもその行動じゃないというのに、何かやってしまう。

 

過剰行動を抑えるメソッドがたしか本に書いてあったのでやってみようと思う。言ってやらないと人は信用を無くすが、別に誰が見ているわけでもないところで書いて、その信用云々とは別の部分で、何か言語化することやそれを人に言うような形にすることのメリットだけを受け取ることができればと思います。

別に本当にくだらないことでも、できるだけ理屈っぽく冷めた態度で向き合ってみたい。気合いで何とかするとかいう方向にロジックが向かうとそれだけで本当にすべてを嫌ってしまう部分がある。それを自分でやろうとしてしまっていた部分があった。

外へ行けばとりあえず一定の学習をするので外へ行く、これは正しい行動だったように思う。それすらできていない、ととらえてしまう心の動きがあったがそういうのはよくない。いや、それをやったほうが結果的によかったという考えに至ることについては賛成である。

何かこのあたりのことというのは非常に面倒くさく感じる。うまく心の動きと振り返りを切り離して考えるのをベースにおいておけば、まるっとこのあたりのことは解決できるのだろうけど、思うほどそれは簡単ではなくて、それ自体を気合で解決するということもできないのであれば、いったいいかなる構造や方法がそれを解決してくれるんだろうか。自然に自然に頭が向かっていってほしい。例えば、訓練することを本当に自然なことにするとか。普通の人はそれが普通なのかもしれないな。まあ普通がないことは適当に受け入れていればいい。あらゆる普通を解体することが至上命題である、というのは何かかっこよいので、ごく自然に受け入れて行うことができそうだ。それを楽しもうという心は、ないときもたくさんあるが、少なくともいまこの瞬間はいくらか思うことができているので、それが良いことのように思う。

はい、ではそのようにやっていきます。あと、肯定したからといって、その否定をとることがいつも悪いということは決してありませんが、それを毎回すべてに付け足す必要はないことをここに書いておく。これはおまじないです。おまじないはおまじない自身にも適用されます。OK。