lost in blue

雑記

心を惹かれるものすべて記録していたいと思った。すべて。何をよしとしてなにを憎むのか。そうすればさらなる矛盾も表出するのかもしれない。それも含めて何もわからない状態、何も生み出さない状態からの脱出口になりうるんじゃないかと。すべてというからには書くのも恥ずかしいようなこともあるだろうけど。素直になるべく受け止めて、けれどその混乱までをもというわけにはいきたくないのだ。

睡眠毒

今日良かったのは子供に研究内容を説明できたことと、同期とそれなりの内容の会話ができたこと。最後だとか、いちいちそういう大きな枠で見ても悲しくなるだけなので控えよう。そういうメタ的な見方をするのは僕の精神の強度に見合わない。何を誇ったような顔で言っているのか僕は。いやしかし唐突に希死念慮が湧いてきたりするのは避けたいだろう。人生をメタに枠で考えるんじゃなくて、ただ魂が幸福な情景を見ることだけ目指すべきな気がしている。知りようが無いものをどうして目指さなければならない。そう考えることにしよう。じゃあ今の僕の問題は?ただどうやってもできなかったことだけに焦点がいく。未来を考えてもそこにあった問題に吸い寄せられる。それが意味不明な無だから困ってるんじゃないか。そんなもの見ないことが魂には望ましいだろ。みんなそういう問題にはそういう解決法をとっているはずだ。そういう人にとって無はどこに存在しているの?僕と同じように肩の上に乗っていたり歩き出そうとしたつま先に張り付いていりするのか?今いる僕が無にまみれているならここを離れたらいいのか?一度客観に収束してからまた新しく作ることができたりするのだろうか。虚しさを感じる瞬間の大半は面倒なときだけど、新しく作れたときはその気持ちをなくせたらな。前の記事を読んだら客観だったから思い出してみた。

レテ

自分は基本徹底的に主観で書かれた文章にしか興味はなく、書く方もそうすることしかなかったが、実験的に客観で自分を描写してみる。一見同じだがこれは違う。

11時くらいに起床。ラーメンのスープの味を指定し、作ってもらったものを食べる。『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』を見る。デパートへ行き買い物をする。ワインと豆乳と炭酸水とチョコビスケットを買う。1004円。フードコートのミスタードーナツエンゼルフレンチとブレンドコーヒーを買ってそれを食べながらこれからのことを検討する。具体的には奨学金手続きと進路とTOEICと研究について、それぞれ何をやっていくかを決めた。帰宅した後髪を少し切ってバイトをする。バイトが終わったら夕食を食べた。ワインのコルク栓を抜くのに手間取った。ワインを飲みアニメの続きを見た。TOEICの申し込みをした。もう遅いから単語だけ50近くやって、寝ようとしたがだめだったのでブログを書いた。

無差別

今日は何もしていないのでそんな日に何を書いても無になる可能性が高い。現に止まる。明日は平日だから今日よりは良い時間となるはずだけれど、台風で休みになった場合同じことができる保障はない。思考のすべてをその不確実な場所に置いている。こんなどうでもいい言い訳ばかり書いて、少しばかりましだと思ってくれている人に見られて失望されるくらいなら、やめてしまったほうがいいと思うな。嘘だ。思っていない。思考がここでしかできないということはおかしい。なぜなんだか。やはり別のブログに移すことにした。うん、こちらのほうが相応しく思える。

ここに未来の姿が投影されるとしたらどんなだろう。基本的に自分の目線で自分に起きたことを語っているか、思考を垂れ流しているので、未来のそれがあるということになる。それがわかったとしたら、いずれ来る失望や何やを回避することができるのだろうか。自分は意思が薄弱であるけれども、いまこの自分以外に自分を見る視点があったとしたら、変わってくることもあるかもしれない。そうか?客観だって主観だって、基本その対象に何かをしようということはない。傍観者であるといえる。

落ちていく風景の上映に意味はあるか?

ナチュラルシリーズ

うまくいってはいない。明日をとりあえず考える。朝に希望調査を提出する。研究の打ち合わせをしながら愚痴をこぼす(これは実験的な試み)。夕方にお金の計算をする。夜は多分バイトか。

ゆっくり生きるしかない。生きられるスピードで。時にどうでもいいことを考えて、真理に浸れたりするととてもいい。

魚の夢

何をしてもいいはずなのに「間違ったこと」をしては罪悪感に駆られてしまう。

なくなればいいのに。

代わりはいくらでもいる

眠いので手短に。

バイトで新しい案件。能力が追いついているか少し怪しくて、そのせいで不審な目を向けられることに落ち込んだりしつつも、選んでいるのは自分ではないということにまずすでに心の余裕が生まれる余地があり、だから自分を拡張する楽しみぐらいしか残らないのだ。他人の人生だから知らん、とまでは言わないけれど、その時々でベストを尽くしていればそれでいいかと思っている。それよりも何も、お金。お金がもらえるのだから楽しいし幸せそのものだ。

 

こうやって恨まれることがなんでもなくなっていくのか?それはなりたくなかった像だけれど、なってしまった後でもそう思うのか?