lost in blue

雑記、あるいは自意識をこじらせた若者の末路

そろそろちゃんと考えるべきという気持ちになってきて書き始めた。

そろそろ、自分がどうなっていくのかというビジョンを確かにしないと、立ち行かなくなってきたのではないかと。まあ不可能だからできていなかったのだが。

今これを書いているのは、短期的な現実逃避なのか。それとも、困ったことになって、その根本的な原因に思い当たって、思い当たっているうちに書いておこうというものなのか。後者だとして、今ここでそれをやる意味があるのか。ここを掘り下げることで、今の短期的な問題が解決する可能性も全然ありうるし、むしろ解決しないことにはどうにもならないのではとも思うが、それこそかなりのすり替えなのかもしれない。

なんにせよやるにはやるしかない。まあそれも何週か回ってそうかなあと今は思えている。しょうもないアイデアでいいからスライドに乗せることをすればいいのに、それをしないから。わかった。それをやればいいのね。はい。でもまだ時間があると、この期に及んで思ってしまうので、完全に頭がいかれている。

そんなことはどうでもいいので少しでも有益な思考をする。実際のところどうなのか。これを続けていくことができるのか。それ以外のやり方が存在するのか。どちらにしたってどういうところに活路がありうるのか。全部見失ったまま生きるのはきつくないですか。少なくとも周りの人はそう見えないので一応やばいと思ってしまう。実際のことだ。今日立ち読みしたひろゆきの本にそんなこと書いてたなあ。何でもいいから思考をアップデートしたいと思ったから読もうかと思った次第だった。

うーん、そう、そんなにすぐはできないですよねえ。もう少し一般書を読んだりしてやっていく必要がある。なるべく意識が高いものは避けたいが。しんどくなりそうだから。

話がそれてメルカリで検索を始めていた。そういうことではない。

 

まあ多分何かがすっかり欠如しているんだろう。それについてはもう疑いようがない。だから欠如しているなりの生き方というのを考えていくことに対して、異論の余地はない気がする。去年とかもう少し克服できていたような気がする部分も、しっかり衰えてしまっている。また1から?やっていく必要がある。 本を読んでる。