lost in blue

雑記、あるいは自意識をこじらせた若者の末路

ナチュラルシリーズ

うまくいってはいない。明日をとりあえず考える。朝に希望調査を提出する。研究の打ち合わせをしながら愚痴をこぼす(これは実験的な試み)。夕方にお金の計算をする。夜は多分バイトか。

ゆっくり生きるしかない。生きられるスピードで。時にどうでもいいことを考えて、真理に浸れたりするととてもいい。

代わりはいくらでもいる

眠いので手短に。

バイトで新しい案件。能力が追いついているか少し怪しくて、そのせいで不審な目を向けられることに落ち込んだりしつつも、選んでいるのは自分ではないということにまずすでに心の余裕が生まれる余地があり、だから自分を拡張する楽しみぐらいしか残らないのだ。他人の人生だから知らん、とまでは言わないけれど、その時々でベストを尽くしていればそれでいいかと思っている。それよりも何も、お金。お金がもらえるのだから楽しいし幸せそのものだ。

 

こうやって恨まれることがなんでもなくなっていくのか?それはなりたくなかった像だけれど、なってしまった後でもそう思うのか?

what khara?

実印の注文はできたけれど、他はだめだった。

髪が気になって切るなどの無駄で無計画な時間の使い方をした。

 

久々に走った。運動もしつつ、姿勢を矯正し、身体を伸ばすストレッチのようなイメージで取り組んだ。そのための障害となるので、鬱陶しいイヤホンはしない。

 

昨日から、『Built with Processing デザイン/アートのためのプログラミング入門』に載っている作例をコピーやアレンジしている。入門書なので大したものはないのだが、デザインに使える細かい工夫が学べたりするので良い。

今日は、作中で何気なく使われていたHSB色空間について調べた。HSBというのは色相(Hue)、彩度(Saturation)、明度(Brightness)のことで、この3つのパラメータで色情報を表現するもので、ProcessingではcolorMode()という関数で、RGBによる表現とどちらを使うかを選択できるようになっている。

HSV色空間 - Wikipedia

HSB色空間を表すものとして、よく見る、円の内側に三角形が書かれたパレットがあるけれど、別の表現として、円錐を用いる方法や円柱を用いる方法などがあったり、RGBとの変換には条件分岐を使った不恰好な変換式があって、特に色相はHSBでは0~360で角度として表現している都合から面白いかたちになっていたりと、面白い。

 

ギターを触ったら、開放→2連ハンマリングで1→6弦みたいな機械的なフレーズを練習し始めたので練習した。筋トレみたいな感じで、病んでるときにやるにはちょうどいい。これをすることで、いくらか自由度が増し余裕が出るような気がした。

YOU ARE (NOT) ALONE

学科試験の勉強をしたり、父が車椅子を借りて乗ることになったのでそれのために家具を動かしたりしつつ、『序』を見た。

ずっとエヴァを見ていると、自分の今の閉塞感・苛立ちが作品内のものとシンクロしだして、なんとなく妥当な感情で、受け入れ乗り越えるべきもののような気がしてくる。いいことだ。

 

明日は実印作成と新しいバイトの申し込みと学部の研究計画をしようと思っている。どれくらい学校へ行けばいいのかの見通しが立ってなくてバイトの日が決めづらいなどの問題もあるので、先輩に連絡を取る必要もあると思われる。不安になるけど、苺ましまろを眺めて気持ちを落ち着けた。

続き

昨日は母の実家へ行った。

 

今日。

春頃から部屋に放置していた加湿器を洗った。

 

スティーブ・ジョブズ』を見た。

ジョブズの役は最近見た『バタフライ・エフェクト』の人だった。(『バタフライ・エフェクト』の人はもう一人出ていた。)この人は目元が黒くて、髪がふさふさしていてかっこいい。髭もほどよくふわっとした印象になって似合う。

基本的にこの映画、ジョブズの空気読まない極端さみたいなものが常に目立っていた。最近父が怒りっぽいのを過敏に不快になっていたのだけれど、これを見てそういう感性が少し希釈されたのは良かった、という雑な感想がある。雑というのは、別に父が怒っているのとジョブズが怒っているのでは事柄が全く違うからで、けれど他の映画よりかは現実的な位置で怒っていることだったから、希釈が行えたのだと思う。

人類補完計画

エヴァTV版終了。やっぱりよくわからなかった。

この作品を人に勧めるときの文言を考えていた。「最初は普通のロボットアニメって感じだけど、これは根本的にカルトな作品なんだよ。前半の展開はほとんど舞台装置かつ最終話への伏線でしかない。」とか。いやでも本当にそうなのかな。これは僕が今まで2週ほど見たのと、それを踏まえたうえで今回途中まで見た段階で抱いた印象だった。

僕の頭が小さいからかもしれないけど、ぼうっとしていると途中で思考が置いておかれてしまう。しばしば。だから今回せめて補完における論理展開は追いたいと思って最終話を見た。

上手い具合に過去の台詞が挿入されつつ展開していき、抱えていたジレンマが解決されていくような流れはすばらしいと思った。

最終的に「好きになれるかもしれない」となったところはもっと何か根拠があるのかと思っていたけれど、あまりそれらしいものはみられなかった。それが現実を受け止めるということなのかもしれない。その気付きこそがすべてだというようにも取れる。

思っていたよりかはすんなりと終わったイメージだったので、すべてがこれの伏線「でしかない」というのは大げさな気がした。それだけじゃないよ。難解な設定とか作戦とか、すべて含めてすばらしいものはすばらしいとして受け入れていいと思った。

 

人類補完計画の、ひとつになることで補完しあうというコンセプト自体が、前回見たときより強く印象に残った。僕は僕を補完するようなイメージで、安らぎを得ればいいんだ。