lost in blue

雑記、あるいは自意識をこじらせた若者の末路

気候のせいか体調が思わしくない。肩首が固まって頭痛がしてくる。ふっと楽になる瞬間もあるのだがすぐ復活してくる。酒は迷ったが少し飲んだ。昨日は飲まなかったので。二十歳を過ぎてお酒を飲むようになって精神の健康度は保ちやすくなったし、頭も良くなったように思う。脳の血管が圧迫されて頭痛が起こるので、適当に萎縮させてやるとちょうどよいのだと思う。

睡眠時間6時間弱(自分としては少し足りない)で、6時~18時くらいまで根をつめて活動していると、頭が痛くなってくるので、そのくらいのタイミングで頭痛薬を飲むと、2時間くらいして効いてきて、そのくらいのタイミングで風呂に入ると大変気持ちが良かった。額の皺が消え、表情はあかるい。

ここ何年かで自分は穏やかになったと思うのだが、その代わりに、何かを本当にただ楽しむということが難しくなっていて、昔のような顔はできない気がしている。それが少しだけ軽減されたような感じすらあったのは、まあ冷静に見ると怖い。

じゃあ、これでいいのか?何ヶ月か前に人と酒を飲んだときの感覚すらうろ覚えなのに。うろ覚え?忘れていることが問題なのか?ギターを弾いたとき、うまく弾いたときの感覚は、昨日もあったのだが、今日になるとまた結構忘れている。

簡単な言葉で表現すると根性が腐っている。ある観点からすればそれほどではなく、むしろ周りの人間のほうがよっぽど腐っている(と思っている)のだが、決定的に重要などこかが腐っている感覚が強い。同じような意味のことをもう100回くらい言ってしまった。

じゃあどうするか?改善するために今日だって頑張った。と思っているだけかもしれない。具体的なことを書きたい気分でもないのだが書くと、いろんなことを物怖じせずにやろうとしている。でも例えば、今の発言に部分的に嘘が含まれているというところこそだめなのだ。

取り残された、自分からそうした人間であることは忘れないようにしよう。

音楽をやるには、神聖に思う気持ちと、自分にも出来るというなめくさったような気持ちの両方が必要になる気がしてきた。神聖さは、純粋さと言ってもいいかもしれない。音の隙間に、届かない幻想世界をいだけるかどうか。それには、実際の視界と重ね合わせることを導入したほうが捗る。目を閉じてしまいたくなるのだが、完全に閉じてしまっては音も閉じてしまう。両面性を内包したまま、平衡状態で飛び続けられるかどうか。それができれば、両者の差異も自然と小さくなっていくような気がしている。

こっちが決めること

昨日より今日はましだったと思うが、それでも帰るか帰らないかで一時間くらい迷っていたり、無駄な時間は多かったと思う。最後だとか言われると緊張してしまうんだよな。できればなるべく平坦であってほしい。その中においてはそれなりにやれるほうだと思う。これもまた幻想のようなものだと思うから、ちらりと思うだけにとどめている。

家に変な奴が来ていちゃもんつけたらしい。すごく嫌だなあ。逆恨みされたりしても嫌だし。俺は嫌な思いしてほしくないしブログにも書かないほうがいいだろうな。

傷付いた解

一週間前からほとんど進んでいない。学校へ行っても、モニタの前で聞きたくも無い会話を聞きながらうんうんとうなっていると時間が過ぎて、肩の凝りや額の皺などだけが蓄積されていく。

まあなんでもいいのだが。たぶんは。なんでもいいから日々をやればいいのだと思うのだけれど。そう思えるときもあれば、何もかも面倒で、なんでもいいのだからやめてしまえばとも思う瞬間も多々ある。こんなこと、いつも書いている気がするけれど、一向に解決する気配はない。ずっとこれをやっていくか?

強いて言うならば、何かに勢いで取り組んでいるときにはそんなに思わないのだなこれが。やはり今日も、結局は失速具合が、根本的では無いにしろ直接的な原因になっていることは確か。

あと3日ぐらいは、なるべく気を紛らわしながら耐えるしかないように思う。

使えない言葉

さっきは歌詞のようなものを書いたけど、こういうことをしても結局同じような、それもなんだか後ろ向きな中学生のようなものばかりになってしまうんじゃないかと思っている。自作曲のタイトルがそんな感じだ。

僕がブログでやろうと思っている遊びは他にもある。例えば、架空の曲のレビューを書くこと。これはそれ自体というよりかは、ここで着想を得て実際にそういう曲を作ってみるということをしてみたいという気持ちが強い。

あとは、好きな曲の存在しない3番の歌詞を考えるというのもさっき思いついた。こちらは、歌詞を生成する練習といった位置づけになるか。

どっちにしろ、何かを生み出すことへの憧れだ。そういえば今日はニンテンドーラボが発表されて、感動するとともに、なんとなくプログラミングとかそういうものが次の世代でより一般的になってしまうことへの寂しさというか、特権を失うような感じ、つまりはなんか卑しい感情も持った。これとさっきの憧れを対比させると、本当にろくでもないな。いや別にそんなに卑しいあれは感じてなかったろ。そうに違いない。ただ感動して、その先に思いを馳せているというだけでいいじゃないか。そういう記述にしておけば皆幸せだったろう。

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雨の日は長いそう長すぎる そんなこともないか

見飽きた部屋無理矢理に壊しても 視界は埋まらない

 

こんな日は色が無い 一人の部屋に一人

煙草を吸ったことは無いし 吸おうとも思わない

 

乾いた石を投げた 落ちたらくだけちった

騒いだ地面を憎んだ さらわれてみたくなった