lost in blue

雑記、あるいは自意識をこじらせた若者の末路

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ツイッターをやめる。ツイッターをやめてここに書き込む。誰にも気にされずに。

ここだけは、自分の精神がある場所です。記事の数だけ少なくとも、感情があります。

 

とりあえず人生について考えてみます。仕事。これはまあ何か、感情をオフにして、淡々とやるのを基本とします。たまに面白いなら、それも淡々と、そういうものとして受け入れるだけです。

楽しみはあります。自然を感じること。コンテンツを消費すること。コンテンツなどは、これもまた淡々と楽しむのがいいと思う。

ツイッターをしないついでに、youtubeで適当に出てくる動画を見るのもやめたいと思う。あんなところに希望を抱くから、実際何もなくて、なんとなく阻害されたような気になる。あんなものよりは、今窓の外で鳴っている雨音のほうが重要だ。

 

少しずつ整ってきたように思うんですが、どうですかね。とりあえず今から風呂に入ってくる。できればそれで、早めに寝る。いいことですよ。

何かあるはず

重要なことが。やりようが。やることが。さっき考えていたことを思い出す方法も。だってそれがなければ、あまりにも救いがないから。そんなものは認めたくない。

幸運の中にあって今までのすべてが続いていたのだとしたら、それくらいは続いてくれないと、困る。何を言われようと、そういうイメージを持ち続けることが、結果的にそっちへ導くことになるような気がする。考え方が狂っている?

 

滔々でない

スーツのサイズを理解した。多分これでOK。

動画1とアニメ1をみた。大切な大切なバランスの上に居続けることができるかな。

「暗い人間になる」って今月の目標の一つだからでっかく書いているが、自分が居ないときは隠すようにしている。

それっぽいものはなかなか見えてこない。その時々で、追憶にも似たような、なつかしいような感覚を覚えるようなことしかできていない。

うーん、かゆいところが増えていく。蚊か何かなのかね。スプレーをしておく。あるいは俺にも。

転換

暗い人間になろう!と思う。

さっき散歩中に雰囲気に流されて考えたことがどうか本当になりますように。

暗い人間として成立したい。日陰に生きたい。そのためなら眼鏡を買うなどもしたい。

 

もういよいよ友達がいないのだな、と思ったことが大きい。音楽の影響も大きい。

 

大した散歩でもないのになぜか、気分によってどちらを使うかその時に決めたいから、と鞄の中に2つ入れたイヤホンがぐちゃぐちゃに絡まって、蒸し暑いなまあたたかい空気の中、すれ違う人や車に見られながらほどいた後に聞いた音楽が、やはり今、響いた。

 

明日もできればこの曲を繰り返し聞きたい。このところ展開を追って覚えて、というような音楽の聴き方がまるでできなくなっていて、そういう概念があることすら忘れそうになっていたが、そういうこともして、気に入っているということを自覚できるような聴き方をしたい。心のどこかで拒絶しているような聴き方はもうあまりしたくない。そのためには、できれば新規追加のところじゃなくて、アーティストやプレイリストから聴いたほうがいいだろうな。いや、こんなことは割とどうでもいい気がするが。

 

日記2として、こちらはできるだけ悪い言葉を避けずに、そういう言葉を使わなければできない思考もあるだろうから、むしろそれを特徴として、その方向性を持つものとして存在させたいと思った。

 

というわけで、明日は暗い人間としてうまくやっていく。明るいふりも交えながら。暗いので、何かあったとしてもむやみに気分を上げ下げすることはないし、上げた状態でないとやっていけないというようなこともない。そういうものとして、やっていきたいということ。

2020.08.10

ごく個人的なことを書くのにこっちを使ってもいいと思う。

さて、明日からまた仕事。とりあえず午前中に仕上げるべき仕事があるので、なんとしてもそれを終わらせる。チームの人が出勤するのかを確認しておく。居ないみたいだ。じゃあ先週席を動かす必要もなかったな。まあいいけど。

インターネットを脳の一部にする、というとなんだか聞こえがいいけれども、実際はネットに書かないと何も考えられないやばい人間だ。まあそれを気にしないことで解決することが少しでもあるのなら、気にしない。誰かに送り付けたりしていないだけ、何倍もましなことだと思っておく。

まあ仕事のことはそのくらいか。そう、そのくらいでいてくれていい。今この時間がすべてではないと思うことや、仕事がすべてではないと思うことについて、よく考える。

基本的には、目の前のことに集中するというのが正しい。過去や未来に執着するのは、精神的によろしくないし、成果も出しずらい。ただ、それはそれで大変な生き方だし、中途半端だと思考の停止にもつながりうる。ここではないどこかに思いを馳せることで、今がすべてだと追い込まれることからは少し遠ざかることができる。それも明晰度が重要になってくるんだと思うけれども。

なんかツイッターをやってしまった。マルチタスクはよくないんだ。ネットカフェとかだと、基本的に漫画に集中していたらそれ以外のものは脳にひっかからない。実際はソファとか自分の脚とかは見えているのだけれど、ひっかかりは少ない。

で、どうするんだ。もう11時15分なので、25分には終える。時間になったら考えるのも終わり、そういう感じは悪くない。

予備動作として通勤中に電話対応のイメージトレーニングをしたり、関わっている案件について考えたりすれば、まあそれもいい効果を及ぼすんだけれど。それよりも本を読んだり、勉強をしたりしたほうがいいのではとも思う。

これについては、もう少し細かく区切るかだなあ。通勤で電車に乗っている時間はおよそ28分。睡眠が十分とれなかったときは眠っていいことにしておく。立ったままなのでやや見た目は気持ち悪くなってしまうのだけれど。会社でそうなるよりはましだろう。

時間になってしまった。とりあえず10分は勉強か読書に使って、それ以外の時間で仕事のことを考える。ルーティンとして、電車に乗って最初にそれを、時間を決めてやるのが良さそうかもですね。電車なら駅についたタイミングで時間を区切ることも可能なので、そういう楽しさもあるかもしれない。

やっていく。

2020.02.16

果たして連続できているんだろうか。同じモチベーションでいれているだろうか。計画通りに進んではいないから、そんなに疑う必要もなく、いれていない側にいるものとして行動すべきだと思う。

気負わないこと。これもいつもいつも言っているけれどすぐ忘れている気がするのでとりあえず言う。1。

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いつもの悪いところにはまっていっている感じはする。なんやかんや言って避けて、作業が一つも進んでない。脳機能を安定させるために文章を書いているけども、好転はしていない。するときもあるのだけれど。

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論文提出前は、珍しく過集中が持続し上手くいったのだけれど、あんなことは本当にまれだ。再現性のあるものだと思ってはいけない。確率的に言えば前回の試行には影響を受けないのだろうけど、人間は、もとい自分はそうではなく、前回上手くいったなら今回は必ず失敗すると考えるのが、直観的に妥当と思える。ではその前提でどう動くべきかといえば、最悪を回避すること。最悪というのは本当に最悪で、確率的にも人間的にもめったに起こりえない、最低に醜い状態のことだ。うん、とりあえず自分は今昔イメージさせられたようなどうしようもない引きこもり状態にはなっていないと思うし、それを回避して、まがりなりに論文を出して、修了手前にいる。あと一歩でどうにか自分をよりましなほうに導ける、という段階で気負わずにいれるかといえば、難しいような気もするのだけれど、欲張ることはやめようと思う。なんとなく酒を飲めば気持ちが軽くなってスライドが完成するような気がするが、そんなことはない。とりあえずは、最低限の睡眠をとり、明日学校へ行くことか。